現在 10件/1ページ 表示:
36387




英大夫のページ
便


ツリー表示  i-mode  検索    戻る

 このコーナーは、「文楽太夫・豊竹英大夫のページ」読者の皆さんからのお便りやメール、FAXを紹介したり、Webマスターがお知らせや、文章を掲載させて頂くコーナーです。上に載っているものほど新しいです。
投稿はこちら webマスター:三一頌三へ
>>>「豊竹英大夫のページ」トップに戻る


(2010/04/16(Fri.) 23:55 〜 2009/03/24(Tue.) 09:14)

  英師匠の誕生日(比目野佳郎さん) 2010/04/16(Fri.) 23:55  

今日4月16日は、英大夫師匠のお誕生日です、おめでとうございます。
ちょうど大阪国立文楽劇場では、妹背山婦女庭訓通しの三段目「太宰館」を熱演中ですね、先日聴かせていただきましたが、この狂言の最大の見せ場である「山の段」の登場人物の性根を、綿密に丁寧に語り分ける、見事な床でした。
この1年をざっと振り返ってみると、大熱演の御霊神社の「勘平腹切」から始まり、4月大阪「堀川御所」、5月東京「辻法印」、6月鑑賞教室「新口村」、7月モスクワ「曽根崎」、夏休み公演「大井川」、9月東京「酒屋」、10月地方公演「尼崎」、11月大阪「葛の葉」、12月東京「判官切腹」、博多「茶筅酒」、今年1月大阪「日高川」、2月東京「生玉社前」、そして3月東京青山・青葉乃会での「柳」と、大活躍の1年でした。
もちろん、本公演以外にも、早稲田大学での特別公演「市若初陣」のような学術的に重要な演奏に加え、天満繁昌亭・ワッハホール等での落語とのコラボや、山本能楽堂での上方芸能公演のような多彩な活動もあり、極めて多忙な1年でした。
さらにこの1年、英師匠の主宰する義太夫教室の活動も発展し、個人稽古や徳島合宿など極めて充実したものとなって参り、8月には大阪の由緒ある山本能楽堂を借り切って、発表会が盛大に開催されました。
当日の発表を一部始終聴かせて頂きましたが、英師匠は、お弟子さん達にそのレベルにあった、しかし本物の義太夫を、正しくきちんと教えておられるとの感を強くした次第です。
この義太夫教室の活動は、義太夫の継承・普及に資する画期的なものであり、ひいては文楽の振興・発展に大いに寄与する、貴重な試みであると言えるでしょう。
本日、誕生日という節目の日にあたり、義太夫教室のお弟子さん達とともども、英師匠の今後のご健康と更なるご活躍を祈念し、お祝いの言葉を贈ります。



  留学生を新春公演に(田村順三さん) 2010/02/10(Wed.) 08:30  

[1月後半にお便り頂いていました。Webマスターのミスで掲載が遅くなったことをおわびします 三一頌三]
1月17日(日曜)文楽劇場公演第一部に行きました。
和歌山大学の留学生 ベトナム1人、中国3人、元和歌山大生で今 大津市で働いている中国の人1人、京都にいるインドネシアの御夫婦、ついて来た日本人4人の一行でした。
他に韓国とマレーシアの留学生も来るはずでしたが、一人は風邪引き、もう一人は寝過ごして 欠席でした。
参加者の一人は 留学生寮に迎えにいったら まだ寝ていて しかし ここで見捨てては 一生 文楽を知らないままに なって せっかく日本に留学した かいが無いと 思い 待っていたら そのうちに 起きてきました。

開演までの間 展示室で 解説してくださるのは 留学生に好評でした。 公演の後、英大夫さんにお願いして 舞台裏も見せていただけ、清三郎さんに人形を持たせていただきました。
今回の文楽ツアーは 和歌山大学公認の留学生支援グループWINコンコードさんが 切符に補助金を出してくれて、そのうえ広報してくれましたので 参加者が増えました。今までは 私が知り合いの留学生を誘っていただけでした。
留学生寮の掲示板に 文楽のポスターを貼っても それを見たと言うて 連絡してくれる留学生は今まで 居ませんでした。
今やっと分かったことは、故国の大学での 日本語や日本学の講義の時に 歌舞伎や文楽の話しを聞いていない学生に とって、文楽の人形の写真のポスターを見ても 何のことか 分からないのだそうです。
台湾や東欧の日本学の講義では 古典芸能についても論じられるようです。まったく文楽を知らない留学生には クチコミで広報しないと 文楽劇場まで きてもらいにくいです。
故国の日本学・日本語学の講座で 文楽や歌舞伎について 教えられていた留学生だけが 文楽のポスターを見て 「あぁ 文楽や!」と思うのであって、それ以外の 留学生ととって ただの人形の写真なのだと言う話しです。

以下は 文楽に行った学生が 携帯メールから送ってくれた感想です:
◆人形の表情と動き、三味線のリズムと音色、大夫さんの素晴らしい演出など全部印象深いです. そして自分の手で人形を動かすのは思いもよらなかったことです-chaoさん

◆三味線なら中国もありますけど  あまり見たことがないです。 舞台裏に人形もいっぱいあって びっくりしました。 人形遣いは簡単だと思ったのに 実際に操作したら やはり難しいです、 それから重くて大変ですね --yingさん

◆舞台は思ったよりずっと大きくて、人形も思ったよりずっと重たくて、出演者のご苦労が伺えます。練習に練習、準備に準備を重ね、華やかな舞台になるなと思いました。 準備の部屋もとても面白かったです。--guongさん

◆とくに、最後のシーンの清姫が大蛇になったのは とても すっごかったです。また、開演の前に展示室でいろいろ説明してくれたり、実際に触ってみたりして、人形にもっと距離が近づくことができました。さらに、公演が終わった後、舞台の裏へ行って、いろいろ見学することができまして、人形の操り方がよく分かるようになりました。ありがとうございました。--dandanさん

◆この間素晴らしい文楽を拝見したベトナム人の留学生です。人形遣いとセリフ語りなど皆スムーズに合っていて、実在のような人形世界を作っていました。それから、直接人形遣いさんにお会いし、遣い方を教えていただいたのはとても楽しみでした。

字幕がついて 聴覚障害の人にも よくなりました。
しかし 補聴器利用者に補聴器を通して舞台の声・音を届ける磁気ループや赤外線補聴システムは 日本の国立劇場にないようです。
20年まえスウェーデンやオーストリーにありました。今 ドイツにもあります。磁気ループは 床の前の席に限定すれば 安いものです。
こういう事を 英大夫さんに お話して お便りコーナーにも 書かせていただき、英さんから「このHPは 東京の国立劇場の職員も読んでいるから 改善の見込みもあるかも知れない」と言うて いただいたのですが、百年待てども 千年待てども という 先代萩を思い出させる状況です。
20年以上前に まだ これほどに不安定な状態でないイスラエルへ行った時「日本は 技術は進んでいるのに 残念なことに 不思議なことに 利用は どうも遅れている」と言われました。今もそのようです。



  初春公演を観て(WEB管理人、三一頌三) 2010/01/10(Sun.) 19:35  

 1月5日、初春公演を観させて頂きました。

 結びの、日高川入相王(ひだかがわいりあいざくら)で、英さんの語る清姫の、艶と、狂気と、ユーモアと、品を、余すところ堪能しました。舞台の方も、はじまりの娘と船頭の問答が、能を思わせるような風情。
 続いて、恋慕の恨みに燃える娘が大蛇にへんげしていくのに、からっとしたユーモアが導入され、さらに紺と水色の取り合わせも鮮やかな江戸模様の大布を舞台いっぱいに使った躍動的な動きで川の怒濤が表現され、4人遣い!の大蛇の人形の、息も果てよとばかりに何と激しいことか! あれよあれよという間に、英さんが神妙なお顔で院本を高々と掲げて、一気に幕切れ。

 「え? もう終わりなの? 続きを観たい」という思いいっぱいに、寒空のもと、家内と共に家路に就いたのでした。

 一つ前の番組、寿連理(ことぶきれんり)の松も、この上ない上質の喜劇。ことに播州者の私にとっては、春からよいものを観させて頂きました。何しろ、播州の分限者が、ぽんと大金投げ出して、四方八方の悶着を解決してしまうのですから! 機嫌良く、新年を迎えさせて頂きました。
 江戸の戯作家が、筆をなめなめ?お客が喜ぶ構想を練り、それが21世紀の私たちをも楽しませてくれた。こよなく愉快な気持ちでした。ありがとうございました。



  NHK邦楽百番「市若初陣」を聞いて KHさんから 2009/12/02(Wed.) 12:24  

10/22
突然のお便り失礼いたします。
先日「邦楽百番」で英大夫さんの「和田合戦女舞鶴 市若初陣の段」を聴き録音し、すでに5〜6回聴いていますが、曲に馴染みが無く大体の内容はやっと分かりかけてきましたが、各々の人物の関係や時代背景(実朝や頼家の名が出てくるので想像はつきますが)が今一つすっきりとのみ込めない所がありまして、もどかしい思いをしています。
折角の放送なのに、もう少しポピュラーなものを選んで頂きたかったと思うのですが、何か意図がお有りだったのでしょうか。
その点、以前の「勘平腹切の段」は聴いていて舞台が目に浮かび、CDを作り楽しんでいます。これを聴いた時、初めて、この段の主役は勘平じゃなく老母なのじゃないかと、私なりに解釈致しましたが、見当外れかも知れません。
英大夫の浄瑠璃は言葉が聞き取りやすく、お声に伸びと張りがあり、毎公演楽しませて頂いています。「葛の葉」も楽しみです。
さて「和田合戦女舞鶴」の直近の公演はいつ頃だったのでしょうか。
簡単な人物の関係図とか出来れば床本も読んでみたいと思うのですが、どうすればいいでしょうか。
地方公演からお帰りになられたばかりでご多忙と存じますが、お教え頂ければとペンをとりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

11/2
このたびは、お返事を頂き有難うございました。
お送り下さった資料すべてに目を通し、この浄瑠璃の全容がはっきりと分かりまして、お陰さまで抱いていたモヤモヤがすっきりと晴れました。
登場人物は耳では識別できていましたが、漢字で見ると「一若」と思っていたのが「市若」だったり、キンサト、ハンガク、エガラなど、想像の及ばない字で驚きました。
詞章を見ながら又テープを聴きますと、緊迫した場面や心情が一層鮮明に胸に迫り、英大夫の語り、そして清友さんの三味線の素晴らしさに改めて感動しています。
「ほんのほんの…」から最後まで何度聴いても泣かされます。追い詰められた板額の心情と行動は、他の浄瑠璃とは一線を画して珍しい曲ではないでしょうか。
是非、本公演で上演して欲しいですね。無理でしたら素浄瑠璃の会ででも…
こんなに魅力たっぷりの曲なのに上演が遠のいている理由が分かりません。
文楽についてはほんの駆け出しですが、それだけに色んなことに疑問を持ったり、その魅力の深さに驚いたりと、毎公演や素浄瑠璃の会に出かけています。今後の公演の演目が多彩でありますように、そして英大夫のご活躍を心から願って楽しみに致しております。
此の度は本当に有難うございました。

11/14
この度は早稲田大学での素浄瑠璃録音テープをお送り頂き本当に有難うございました。
早速聴かせて頂いております。(すでに何回も・・・・)
FMの分でも十分に感動的なのですが こうして全曲を聴きますと、板額の息子への愛情の深さ、逃れられない運命への嘆きが きめが深くなった分訴える力が強く感じられます。又この段の終末にも納得がいき、”あゝやっぱりいい曲だナ”とすっかりはまっています。
名作に違わず作品自体が持つ圧倒的な力を感じますが それに加えてお二人の素晴らしい演奏があってこそ、聴く人の胸を打ち感動を呼ぶことができたのだと思います。お二人の呼吸が一つに添うかと思えば大きく吐く如くぶつかり合い 息もつかせない勢いで迫って来る・・・
これが義太夫の醍醐味ではないかとドキドキしながら聴いています。
今は一日も早く舞台にかけられて多くの文楽ファンを楽しませて下さいませ。 お待ちしています。
文楽の新作や復曲はとても大変でむつかしいと聞きます。「市若初陣」のように永く眠っている名作が他にも有るのでしたらまずそれらの復活上演から始めて頂きたいと思います。



  市若初陣を聴いて(YKさん) 2009/10/08(Thu.) 12:42  

幸せな一日でした。英大夫・清友さんによって40数年振りに復活したこんな素晴らしい浄瑠璃をライブで聴くことができて。この演目の素浄瑠璃としての最後の公演は昭和38年・10世若大夫の公演だそうです。

この「歴史的な公演」(大袈裟でなく)に立ち会えことは私の一生の宝になると共に、伝承芸能である「文楽」にとっても同様でしょう。
それは演奏終了後内山先生が、感極まったお声で「こういう浄瑠璃を文楽は待っていた!」と快哉した事実にいみじくも表れていると思います。

とにかく英さんの語りが最高でした。持てる力を出し尽くし全身全霊で語る英さんの地力・底力を見せつけられました。それを支える清友さんの三味線も同様に素晴らしかったです。観客に息つく暇を与えない緻密でドラマチックな浄瑠璃が紡ぎ出されました。

前日の一夜漬けの予習(笑)は床本を単になぞっただけに過ぎませんでした。そこまで(一人芝居=嘘をついてわが子に自刃させる・・という行為)しなくてはならないのか!と。本音を言えばこの場面に少々抵抗を感じていたのも事実です。

何も知らされていない母・板額と息子・市若がジワジワと追い込まれて行く様子は散りばめられた伏線や尼君・北条政子の「衝撃の告白」で決定的になります。絶体絶命の状況に母・息子は置かれてしまうのです。
この場面の緊迫した語りが素晴らしかったです。塀の外で中の様子を伺う夫・与市、暗闇の中、背中で孫の公暁を庇いながら板額の様子を見つめる尼君・政子や綱手、それに市若。それぞれの「位置取り」がしっかりとわかり、各自の思惑が板額に重くまとわりつく様が眼前に広がりました。

「一人芝居」は市若の死は不可避と覚悟を決めた板額が身を切る様な辛さの中の必死の行動であり愛息の死を「犬死」で終わらせない為の苦渋・苦慮の末の「行為」というのが抵抗なく素直に伝わってきました。
「ほんの〜ほんの〜〜ほんの子」と死に行く市若に真実を告げる板額の感情のほとばしりに涙しつつごく自然に拍手していました。

現代人からみるとこの様な悲劇的で残酷かつ不条理とも思える作品は 納得しがたい箇所があるのも事実です。が演者の作品への理解度・洞察力・芸の力で観客は納得させられてしまう場合があります。今回がそうでした。 内山先生はレクチャーの中で母・板額は「息子の顔を立てる方法選んだ」「それが一人芝居だ」という英さんのコメントを紹介しましたが本質を的確に言い表していると思います。

三味線の手が華やか、かつ派手。ヲクリが弾き終わるや否や直ぐに華やかな節が奏でられる箇所が数箇所ありました。例えば冒頭の市若が鎧兜姿で登場する場面など。
また、女武道の典型である板額が情愛・知力・かつ胆力を備えている女性として魅力的に描かれていて同性としては嬉しかったです。
浄瑠璃好き・浄瑠璃を聴き込んでおいでの皆様が参集された様で舞台・会場一体となって盛り上がった素晴らしい公演でした。



  和田合戦女舞鶴・市若初陣の段(斎藤俊太さん) 2009/10/06(Tue.) 21:46  

いやぁ、堪能いたしました。

まず、内山先生がこの作品自体とこれが今回英大夫・清友両氏により久々に語られることの意味について熱く語ってくださったおかげで、観客の心はすっかり「和田合戦女舞鶴」の世界へと誘われました。歴史的に有名な人物があまり登場していなくっても、全く無問題。

満を持してのお二人のご登場。第三段のキリといういきなりの聞かせどころ。

しばらく別れていた我が子市若に対する女傑板額の愛、そして将軍家への忠誠心。最初は何の矛盾もなかったこの両者が、尼将軍政子のある告白がきっかけで、途端に対立し合うものとなり、板額は両者の板挟みに....、という激しいドラマ展開。そのぎりぎりの苦悩の中で、彼女が取った驚くべき方策とは....?

忠義(義理)と肉親への愛(人情)に引き裂かれる中で生まれる人間的苦悩のドラマは、文楽の物語世界では定番中の定番モチーフですが、この物語の要は、この両者の矛盾と対立とを超えた世界が語られるという点。当然ここがクライマックスとなり、そこに向かって語りと三味線とが一気に駆け上っていく、その力、その凄み、そのエクスタシー!

「与市殿とわが中の、ほんのほんのほんのほんのほん本の子じゃわいな」
溢れる涙。わき起こる拍手!

お武家さまの世界では、矛盾と対立とを超えることには(一応)なっても、でも、幼気な子どもが忠義ゆえに自らの命を捧げる、という悲劇には変わりなく....。

「なんの因果で武士の子とは生まれて来たことぞ」
嗚呼、また涙....。

ほんにほんにほんにほんに見事な舞台でした。

英大夫の持ち味であるその端正な語りが、母と子の悲劇を格調高く浮かび上がらせ、また、女傑でしかも母という板額の持つ人物の大きさと繊細さを共に表わしており、この段の魅力を余すところなく伝えていました。

この作品は、「和田合戦」という割と地味な史実絡みの物語のせいで、今まであまり上演される機会がなかったのかもしれません。でも、この段はとにかく面白い!
こういう隠れた名作がまだまだあるのでしょうね。文楽、奥が深いです。

英さま、見事な語り、本当にありがとうございました。



  生写朝顔話 「大井川の段」(東京・西島いそみさん) 2009/07/23(Thu.) 15:40  

目にも涼しい伊達男阿曽次郎、美しく咲く一輪の朝顔が眼と眼を見交わし、惚れあったのが、朝顔の悲劇。

阿曽次郎は出世して名を変え、以前にも増して凛としたたたづまい、それにひきかえ落ちぶれ果て目もつぶれ哀れと言うほかない有様の朝顔、ふたりの対比が尚一層朝顔の悲惨を浮かび上がらせ、見ている私の胸をぎゅうと締め付けました。

前列で見る蓑助さんの朝顔は、儚いというよりむしろ壮絶で、暗闇の世界でもがき苦しみながら阿曽次郎と再会するときを、ただひとつの希望の灯として恥を耐えしのんで生きています。
お姫様が、ボロボロの恰好で野ざらしの身となり子供たちに鞭打たれ流浪の果てに琴を弾いて食いつなぐ、ひとえに阿曽次郎に会えることを一心に信じて・・・けなげすぎます。

それなのに阿曽次郎は、目の前のあまりにも変わり果てた姿の朝顔に、思いを残しつつも人目をはばかり名乗れずにその場を立ち去ってしまうのです。

酷い運命のいたずらもあったものです。
というか、作者の悪戯とでも申しましょうか・・・なんとよくできた作品でしょうか。まさに名作、古さをまったく感じさせないスケールの大きさと、根底には何世紀を経てもかわることのない、「人間愛」が、しっかと描かれているのです。あるいはそれは作者の願いかもしれないと思ったのは、英大夫の力強い語りがはじまってからでした。

大井川の段、作者がこの作品に込めた願いこそまさに朝顔の生きざまそのものであったと思えば、ああ、人は、どんなに苦しいことがあっても、運命のいたずらに翻弄され絶望し夢をあきらめてしまおうとすることがあっても、希望を失ってはならない、信じる者は、救われるのだと、はるか近松の時代から時を越えて継承されてきたこの珠玉の作品その作者の思いを、英大夫団七ご両人は、見事なまでに忠実に、語り伝えてくれました。

美しい声、音曲を受け止めようと思ってみてもそれは叶わず。
指のすきまからさらさらとこぼれおちる言葉たちを拾い集めることはできませんでした。

けれども心の奥へと沁みわたり感じ入った思い、

どんなに時代が変わろうとも、世の中が変ってしまっても、人を愛することは美しい、裏切るよりも信じるものが、救われる。

人は人によってのみ救われるのだというメッセージを、英太夫は高らかにうたいあげ、大きな拍手とともに幕を閉じました。



  嵐を呼んだ大夫(西島いそみさん) 2009/05/12(Tue.) 18:36  

「文楽」すなわち人形浄瑠璃、と言えば大夫が要でございますが、さて個人的に選ばせていただきますならば、東京公演5月の華は
第二部ひらかな盛衰記で、喜怒哀楽を大阪人ほど素直に表現できない、しゃいな東京のお客さんを大爆笑熱狂の渦に叩き落してしまった、文楽大夫界きってのリーサルウエポン、豊竹英大夫の、思いきりの良い語りがたまらない「辻法印の段」を一番に挙げさせていただきたいと思います。

「辻法印」は、平成15年伊達大夫以来久しく上演がない、チャリ場の傑作として有名な段、美声の持ち主軽妙が味とは言うものの、英大夫には初役、公演前から興味を惹くところではございました。
初日のお客さんの熱狂を、なんと表現したら良いか・・・あえて東京人が申し上げるのもなんですが、東京らしからぬ、大阪の文楽劇場のこなれたお客さんたちが千秋楽で起こす自然な乗り、とでも申し上げたらよろしいかと・・とにかく、最初から最後までお客さんは英大夫に心を掴まれ笑って笑って、なんとも言えない充足感、文楽の宇宙を漂う浮遊するかのエクスタシー的高揚感に達したのです。

本来東京の人間がおいそれと理解出来るわけがない、日常的にほとんどなじみのない関西弁でつづられた「辻法印の段」を、瞬時に東京のお客さんに浸透させた英大夫語りの功績は驚愕のマジック、これこそが真の義太夫、本来の浄瑠璃語りの力であるのだと言うことを、私たち東京の文楽ファンは、その夜五感で体感した、ということなのだと思います。

おすまし顔をゲシュタルトさせる破壊力、華の嵐が、千秋楽までにどこまで暴風域を拡大するのか、実に楽しみです。



  桜散らす東風荘厳の語り(西島さん) 2009/04/09(Thu.) 18:41  

4月文楽公演、義経千本桜を娘とふたり、ひと幕見席左12列より堀川御所の段、拝聴させていただきました。

月曜日だというのに満員、二等席までぎっしりのお客さんという光景は平日の大阪ではあまり見ないように思え、なにやら熱気で圧倒されました。

しかしそれにもまして威風堂々たる英大夫の荘厳にして華やかな語り、満開の夜桜を容赦なく散らす東風が最後列のお客さんの心まで揺さぶり、泣かせました。

驚いたことに!!!私の前に座っていた外国人の男性は、身を震わせて鼻水をすすり出したのです!

左側幕見最後列は、最も床から遠い位置、しかし英の美声は劇場の隅々まで吹き渡りその詞は、吉野の里に振りしく花びらとなり私の頭上に舞い降り、春の嵐のように心を揺さぶり、忘れられない感動を、帰京のお土産に持たせてくださいました。

醒めない夢はいつまでも私の心に咲き続けています。



  義太夫と落語の会@御霊神社(大阪・森田美芽さん) 2009/03/24(Tue.) 09:14  

 22日の「落語と素浄瑠璃の会」、お疲れさまでした。そして、本当に素晴らしい時間をありがとうございました。
 
 雀松さん、本当に楽しい!何もかも忘れて笑ってしまえる、落語の楽しさを堪能しました。。義太夫好きの素人さんたちの、それぞれの個性がまた、ありそうな話で、途中から笑いが止まらなくて、ほんのちょっとした呼吸、間、そんなものでも笑いが弾けてしまいました。
 
 そのあとの呂茂大夫さん団吾さんの「身売り」、団吾さんの音が明快で気持ちよく決まります。呂茂大夫さん、若いのにどうしてこんなに「婆」がうまいのでしょう。詞の端々に気持ちがぐっと伝わってきます。
 
 そして師匠と清友さんの「勘平腹切」、これは確か2000年の十色会でもお聞きしましたし、その後も聞いているはずですが、やはり昨日は胸に響きました。やはりこの場は「婆」が要です。この与市兵衛女房は、娘かわいさに目がくらんでいる、そして勘平が陥った状況を理解できなくなってしまっている、そんな思い込みがもたらした悲劇ともいえるのではないでしょうか。勘平を追い詰めてしまう、そして郷右衛門や弥五郎の前でこんなに感情を顕わにしなかったら、彼らは先に遺体を検めて、勘平も死ぬことはなかったのに...と思わされるほどの描き方です。そして勘平が死に、夫を亡くし、娘は身売りし、ただ一人取り残される心もとなさに、自分のしたこともわからなくなってしまっている、そんな自己中心性が哀れです。
 
 昨日は清友さんの音がいつもと違って聞こえました。何か胸の奥から響いてくるように、いたわしさや、やるせなさや、悲しみを、留めようとして伝えざるを得ない、そんな二重の翳りを帯びた音です。それと師匠の語りがあいまって、このお婆さんに同情しながら、それを突き放すように見ている自分を感じてしまいました。郷右衛門も弥五郎もあまりに単純というか、片や一本気な昔かたぎ、片や若気のいたり、というのがありありと見えます。悲劇は良い人同士の間にこそ起こります。良い人同士だから、自分の感情に反省がないのです。勘平もしかり、自分のやった事実を正面から向き合うことができない、そんな弱さが彼を死に追いやったことを思うと、七段目のおかるの無念と絶望がまた哀れでなりません。
 
 師匠の素浄瑠璃は、聴くたびに、そこに人間の業の深さ、やるせなさと、それを温かく見守る眼差しの両方を感じます。義太夫を通して感動する、それは語りを通して、自分の中の生の感情や抑圧していたものを見出し、なんともいえない悲劇の中に自分自身を忘れカタルシスを見出すことです。
 
 昨日はそんなことを感じてしまいました。もちろん、名司会者の小佐田先生初め、多くの方の協力が作り出したものです。毎回、こんな幸せな時を頂いて本当にありがとうございます。







 
Cool Note Pro v2.04.01